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染めない生活

50代で毛染めを止めました。

昔の暮らしに憧れる

日本の暮らし

50代になって、これからの暮らし方について考えるようになりました。

家事一つにしても、今まで深く考えずにやってきたことを見直したくなるのです。

掃除のときも掃除機ではなく箒を使いたくなったり、ぬか漬けをつけてみようかと思い立ったり。

 

でも、雑誌などで見る「丁寧な暮らし」「おしゃれな暮らし」は自分の思うことと少し違うような気もします。自分にはできなさそう、と思うからでしょうか。

憧れの暮らし

金子由紀子さんの「暮らしのさじ加減」(講談社α文庫)を読んでいると、「憧れは、お祖母さんの暮らしぶり」と題した文章がありました。

作者の育った田舎にいた、身内や近所のおばあさんたち。

来る日も来る日も同じような日々を送っていた彼女たちの生活を書いています。

明治生まれの祖母

それを読んでいると、私自身の祖母を思い出しました。

明治生まれの祖母が住んでいたのは田舎ではなかったせいもあって、本にあるような「風呂は薪、トイレは汲み取り」ではなくガスぶろ、水洗トイレでしたが、「廊下は狭く、階段は急で、上り框は高い」小さな家に住んでいました。

そうそう、柱時計もあって、「ボーン、ボーン」と独特の音を慣らしていました。

火鉢や日本人形など、私の家にはないようなものがありました。

 

植物を育てることが得意で、鉢植えの菊を見事に咲かせていました。

近所の人とのおしゃべりが好きで、料理もこまめに作っていました。

 

祖母が亡くなった後、愛用していたステンレスの両手鍋をもらいましたが、シンプルで作りの頑丈な鍋でした。こういうものを選んで買う人だったのだな、と今でもその鍋を使うたびに思います。

 

昔の人らしく、小柄で痩せていたのに、体力があって丈夫でした。

「明治生まれにはかなわない」というのが、今は80歳を過ぎた母の口癖でもありました。

真似てみたい暮らし

作者は「今の私がしたいのは、あのおばあさんたちの暮らしぶり」と書いています。

私もそう感じます。

今、あのころの生活をそのまま真似ることはできないにしても、何らかの指標になる気がします。

カッコよくもなく、贅沢さもなかった暮らしなのに、なぜ心惹かれるのでしょうね。

 

悔やまれるのは、もっと祖母の生活を知っておきたかったということ。

年に一度祖母の家に行くときは、お年玉やおこずかいが目当てでした。

正直、自分が若いころは祖母の暮らしぶりには全く無関心だったのです。

ああ、もったいない。

50代からの生活、おばあちゃんの暮らしぶりが絶対に参考になったに違いないのに。