染めない生活

52歳で毛染めを止めました。

食事をいただく心得「赴粥飯法」


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先日、禅宗における食をつかさどる典座の心得を書いた「典座教訓」について書きました。

典座によってつくられた食事をいただく際の心得を記したものが「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)です(全訳注 中村璋八・石川力山・中村信幸 講談社学術文庫)。

 
赴粥飯法とは

 

曹洞宗の開祖・道元禅師が、永平寺の修行僧に対し食事作法について定めたものです。

「赴粥飯法」は食事の根本意義に始まり、僧堂への入り方、自分の席につくときの挨拶の仕方、座った時のたくし上げていた袈裟の広げ方、食器の並べ方まで、事細かに書かれています。

そして食前の祈り、施食の祈りがあります。

施食というのは食を施し、供養するということだそう。食事はすべて供養をうけることとの考えだそうです。

 
してはいけないこと

 

中におもしろいものもあります。

「病気でもないのに自分だけ特別なおかずやご飯を要求してはいけない」

「ご飯でおかずを覆い隠しておいて、さらにおかずを求めてはいけない」

「隣の席の鉢の中を覗き見て、不満に思う心を起こしてはいけない」

など、具体的な例があげられています。

 

まるで子どもを諌めているかのようですが、実際にこんなことをする人がいたのでしょう。

厳しい修行の毎日、若い修行僧にとってはお腹が空いてたまらなかったのかもしれません。ちょっと気の毒ですが、リアルですね。

 

汁類をかけて、ご飯を洗うようにしてはいけないとか、おかずや羹(あつもの)をご飯と混ぜて食べてはいけないとも言っています。

みそ汁などをかけるのが好きな私にとっては、これはちょっと残念です。おいしいのに。

 

自分の鉢の中に残ったご飯やおかずがあっても、とって置いてはいけないとか、一旦食べ終わったら、もっと食べたい気持ちを捨てて、なお欲しがってつばを飲み込んではいけないなどと読むと、おかしさを超えてなんだか可哀想になってきます。

修行の日々の中で、食事が楽しみだっただろうに、そこでもまた修行の一つとして厳しく定められた作法で食べなくてはいけなかったのですね。

 

数年前、永平寺福井県)を訪れたことがあります。

すみずみまで掃除が行き届いていて、こちらの背筋までもが伸びるような、凜とした空気が漂う場所でした。

中で暮らす人々が単に表面だけをきれいにするだけではなく、日常の細かなことまで律する毎日を送ってこそ、こうした雰囲気が生まれるのでしょう。

真似は出来そうにもありませんが、日々の暮らしをきっちりすることが落ち着きを保ち、ゆらがない芯を持つことに繋がるのだと思います。