染めない生活

50代で毛染めを止めました。

読書はなぜ必要なのか


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大学生の読書時間0分が5割になったそうです。

本を読まない人が増えているんですね。

電車の中でも本や新聞を読んでいる人を見かけなくなりました。みんなスマホをいじっています。まあスマホで活字を読んでいる人もいるのかもしれません。

 

私自身は子どものころから本が好きで今でも好きですが、読書に興味がないという人が増えることについては、「そうだろうなあ」という感想しか持っていませんでした。

読書よりもっとおもしろいことはたくさんあります。

本を読むか読まないかは、あくまで本人の趣味の問題なのでは、という立場です。

 

読書を勧める人は多くいますが、読書が何に、どう役立つのかを、納得行くように説明できる人はあまりいないのではないでしょうか。

人の立場に立って考えることができるようになるとか、自分の知らない世界を経験できるとか言われますが、自らを振り返ってみると、首をかしげたくなります。

 

4月16日付朝日新聞で、歌人穂村弘が読書はなぜ必要なのかについて書いていました。

 
読書なしでも生きていける

 

穂村氏は、読書は楽器やスポーツと同じく趣味の範囲で、なくても生きていけるものだと認めています。

しかし、「読んでも読まなくてもいい」という考えには不安と戸惑いを覚えると言っています。

なぜなら読書は言葉と密接にかかわっているから。

 
内なる世界像

 

例えば映画やドラマで、「実はお前は私がお腹を痛めた子じゃないの」とか「お前たちは血を分けた兄弟なんだ」と告げられた人がショックを受けるシーンがあります。

この場合、事実を告げる前と告げた後では血のつながりやDNAが変化したわけではないので、言葉で覆ったのは世界そのものではなく、ショックを受けた人の心の中の世界像です。

穂村氏はこれを、蜘蛛と糸と巣の関係に例えています。

蜘蛛が自分の糸だけで編んだ巣の上で生きているように、我々も自らの内なる言葉が作り出した世界像の上で生きているのではないか、と。

 

つまり、人間は言葉の介在無しに世界そのものを直に感じることはできないんじゃないか

 

本は言葉の、他者の世界像の塊であるがゆえに、読書に特別な意味を見出すのだと結論づけています。

 

言葉によってしか人は世界を感じることはできないし、他者の考えを知り、自分との違いを感じることもできない、ということだと思います。

実際の人とのかかわりにおいて、密接な関係を持つことができる相手は数が限られています。その点、本を通してなら、時間も、住んでいる地域も飛び越えることができます。

ただ、そのためには良書を読むべきですね。